廃業が続くお菓子屋さん。今こそ立ち止まって考えてみました

新月堂のショーケースに並ぶ箱菓子とカステラ 甘いものの記憶

砂糖、小麦粉、バター、卵。それに、箱、袋、リボン。

ここ数年の上がり方は、正直、これまで見たことがありません。

うちは昭和39年頃からこの場所で菓子屋をやっています。私は物心ついた時から店の中にいて、そのあと自分でも作る側に回りました。六十年、この商売を見てきたことになります。

そのうえで、いま何が起きているのか。これからどうしていくのか。少し立ち止まって、書いてみます。

木の棚に並ぶしゃれて鱒・パウンドケーキ・カステラ・マドレーヌ

昭和39年頃、姉が生まれた年に

今の場所に店を構えたのは、昭和39年頃です。姉が生まれた年でした。

それより前は、少し離れた場所で店を開いていたと聞いています。ただ、そのあたりのことは、結局聞かないままになってしまいました。

当時は和菓子屋でした。しかも、いまとは売り方がまるで違います。です。

あの頃は、街のあちこちに小さな商店がありました。いまのコンビニのような感じで、歩いて行ける距離に何軒もある。そこへ納めるのが仕事でした。

皿菓子と呼ばれるものです。団子、大福、まんじゅう。作っては配達し、また作っては配達する。それを毎日、繰り返していました。

街から、小さな商店が消えました

やがて、店にもお客様が少しずつ就き始めた頃です。

買い物の場所が、小さな商店から中型スーパーへ移っていきました。

納め先だった商店が、一軒、また一軒と減っていく。卸は縮小していき、昭和54年頃、うちは完全に店売りだけになりました。

売り方を変えたのは、うちの都合ではありません。街のほうが先に変わったからです。

そして時代とともに、ケーキも作るようになりました。和菓子屋が、和洋菓子店になった。

同じ時代に始めたお菓子屋さんも、多くが同じように洋菓子を作り始めました。それでも、ケーキを売る店はまだ少なかった。 その分、売上も結構あったと思います。

ただ、店をいちばん支えていたのは、そこではありません。法事、祭事、慶事。ご注文でお作りする箱菓子です。

私が店に戻って仕事を始めたのは、1993年、26歳の時でした。洋菓子を任せてもらい、そこからずっと続けてきました。

廃業が続くお菓子屋さん

いま、洋菓子屋さんやパン屋さんは、新しいお店をよく見かけます。

ただ、閉めるお店も多いのです。洋菓子店の倒産は、2025年度に65件と、2年続けて過去最多になりました(帝国データバンク調べ)。しかもこれは大きな倒産だけの数字で、静かに店を閉めるお店は入っていません。本当に増えているのかどうか、実のところ、よく分かりません。

焼き菓子を中心にした小さなお店は、確かに増えています。それが何年続くのかは、まだ分かりません。

その一方で、和菓子屋さんは減っています。

私は二代目です。それでも、三代、四代と商売を続けられるお店は、ほんの一握りだと思います。

好きで始めたお菓子作りです。でも、好きだからといって、理想通りに商売ができるわけではありません。

無理難題もあります。労働時間も長い。はっきり言って過酷です。若い頃はそれでも続けられました。ただ、限界は来ます。

それに、ほぼ個人事業主のこの業界では、作る人間が倒れたら商売は止まります。 保証もありません。これはもう、宿命のようなものです。

夏もこたえます。暑さそのものより、暑い日が長く続くこと。 その分、売上は落ちます。

いまはSNSでバズれば繁盛することもあります。ただ、それがずっと持続するのか。 そこは、まだ分かりません。

今こそ立ち止まって考えてみました

材料も包装材も上がり続けています。この中で、どう生き残るのか。

まず、値段の話です。

安さを求める方は、お菓子そのものではなく、値段のほうに魅力を感じておられます。 そこで勝負しても、うちの菓子を選んでいただいたことにはなりません。

では、高ければいいのか。そういうものでもありません。全てはバランスです。

もうひとつ、はっきりしていることがあります。売上が上がれば利益は上がる。ただし、比例はしません。 作る量を増やせば増やすほど、材料も手間も、捨てる分も増えていくからです。

それで、こう決めました。

多品種を大量に作るのは、やめます。

① 品数を絞ります。ただし、減ったように見せません

品数を減らすと、棚が寂しくなります。それではお客様に申し訳ない。

そこで、同じ土台から、横に広げることにしました。

まず、何を残すか。基準は認知度にしました。

どら焼きと、カステラ。 この二つは、どなたでも知っています。説明がいりません。そして、誰に差し上げても喜ばれる。

そのうえで、横に広げます。

カステラは、ラスクにしました。 味は、シュガー、きな粉、紅茶。

どら焼きは、八種類。 粒あん、もちどら、バターどら、栗どら。それに生どらが、小倉、抹茶、いちご、ラムレーズンの四つ。

皿に盛られた宮どらと栗どら

皮は同じです。中身と組み合わせを変えているだけです。

数えると、これだけで十一品です。

でも、作っているのはカステラの生地と、どら焼きの皮。土台は二つだけです。

品数は絞っている。それでも棚は寂しくない。これが「減ったように見せない」ということです。

それに、カステラのラスクには、もう一つ理由があります。

カステラは竿物です。棒の形に切り分けて売ります。そうすると、どうしても竿にならない部分が出ます。

その足りない部分を、ラスクに使っています。

つまり、捨てるはずだったものが、一品になったということです。

そして面白いもので、いまではラスクのためにカステラを焼くことも出てきました。日持ちがして、贈り物にしやすい。

ロスを減らすために始めたものが、商品として独り立ちしたわけです。

② 在庫を抱えすぎません

値上がりが続くと、上がる前にまとめて買っておきたくなります。材料も、箱も、袋も。

でも、抱えた分だけ置き場所を取りますし、使い切れなければ結局は同じことです。必要な分を、必要なときに。そう決めました。

③ 機会損失を恐れません。その代わり、ロスを減らします

これがいちばん大きな決断でした。

菓子屋は、棚を埋めたくなるものです。売り切れてお客様を帰してしまうのが怖い。だからつい、多めに作ります。

でも、売り切れてしまう日があってもいいと考えることにしました。それより、作ったものを捨てるほうが、いまの時代には重い。

材料が上がるということは、捨てる一個の重さも上がっているということです。

結び

昭和のあの頃、店を支えていたのは箱菓子でした。

法事、祭事、慶事。いまも一定数、求めていただいています。そしてこれからも、ここを主力にしていかなければ、商売は続きません。

振り返ってみると、うちは六十年で三度、店の形を変えています。卸から店売りへ。和菓子から和洋菓子へ。そのたび、変えた理由はいつも、街のほうが先に変わったからでした。

いまが四度目です。そして、五度目、六度目が訪れるかもしれません。

時代の流れとともに、変化させ続ける。でも、培った土台の味は変えない。

お菓子屋の強みは、おいしさで人を惹きつけられることです。価格競争で疲弊しなくても、バランスを保てば続けていけます。

甘いものは、幸せを感じます。生きるために必要なものではありません。でも、幸せになるためには必要なものです。

おそらく、この記事を読んでくださっている貴方も、お菓子が大好きなはずです。

お客様の笑顔を糧に、お菓子作りを続けていけるよう、心より願っております。

以前、お菓子屋さんが長く続く理由について書いたこともあります。
ケーキ屋はなぜ潰れにくいのか|60年続く菓子屋が考える経営の心構え

📌 新月堂(しんげつどう)
静岡県富士宮市青木325-12
電話:0544-27-0114
営業時間:8:00〜19:30/定休日:月曜日

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